著書・四国の赤石山系の自然・高山植物の花便り…2011/6/08
2011年 06月 08日
新居浜市と別子銅山の関連が分かる著書~下に抜粋しています。
当時誰一人としてこの落葉松の植林が
高山植物アカモノ ツガザクラの大群落をつくる
基因になろうとは夢にも思ってみなかったであろう
【 銅山には莫大な薪炭を使用する。
東は津根山西は伊予富士辺り迄森林伐採。
住友中興の偉人広瀬宰平23才(幕末の動乱期)
会計兼木材関係の事務方の広瀬が
「百年の謀は徳ちゃんを積むにあり十年の謀は樹を植えるにあり」と
植林を始めたのが治山の始まり。
しかし理論に基ずく治山を決意し断乎実行に移したのが
広瀬の後の総理事伊庭貞剛である。
元禄の昔から凡そ200年硫煙が浸透して焼け爛れた様に一木一草だに
留めない山肌は如何に先人たちが治山造林を行っても簡単には根をおろさなかった。
初めは松や杉桧を植林した様だが どうしても
根をおろさないので柳を挿し木して歩いたと言う話。
銅山峰周辺に柳が多いのはこの為だろう。
苦労は人を考えさせ考えは良き知恵を生む。
寒冷地に適し荒地を好む落葉松の植林が完全ではないが
落葉松の原産地は中部地方の火山地帯 。
遠くから苗や種子を取り寄せ根気強く植林を施したところに
伊庭の「元に返す」精神の片鱗を窺う事が出来る 。当時誰一人としてこの落葉松の植林が
高山植物アカモノ ツガザクラの大群落をつくる
基因になろうとは夢にも思ってみなかったであろう。】
(一部抜擢)
平日にもかかわらず大勢の登山客でにぎわっていました。
上は70代下は10代までと幅広い年代の方が訪れていました。
お花畑がしばらくみられるそうですよ。高山植物で珍しい花でしょう。