西条市禎瑞新田の芝桜と、龍神社と川狩り…2013・4・18



18日の午後から、友人に禎瑞側の芝ざくらを、紹介したくてお誘いして、2人で行きました。

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先日より禎瑞新田の広大な水田の田植もだいぶ進んでいました。
中山川河口から石鎚山の方向を見る。

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蛭子神社の向こうが芝桜の群生地です。。

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地元の方の手入れが行き届いて、素晴らしい風景に感動します。

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中山川の堤防ぞい…西の禎瑞地区でまず満開の芝桜を見て今日も撮影。

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先日の15日のようには空気は澄んでいませんが、芝桜鑑賞の人が次々と来られていました。

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始めの場所からまだ海側に150m位進むと、100m以上続く堤防の難波の禎瑞側にも、これから広がる植込みがありました。こちらのほうは、まだ5月に入っても、芝桜が咲くと思うので楽しみですね。

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今日は,友人も一緒でせっかくなので芝桜を見た後、海岸線の堤防の上を車で回れると地元の方に聞いた
のでドライブして、江戸時代の新田開発の事も調べました。

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撮影した写真を入れながら、紹介します。

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周桑・西条平野の前面の燧灘沿岸には干潟の発達が良好である。
干潟とは三角州前面の浅海底地形で、干潮時に海底の露出する部分をいう。

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このような地形は干拓の好適地であり、土木技術の進歩した江戸時代には盛んに干拓工事がなされた。

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西条市の干拓地としては、中山川と加茂川の両河川の間の河口近くに造成された禎瑞の干拓地が最も著名である。
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禎瑞新田は西条藩祖松平頼純が本家の紀州徳川家から拝受した巨額の御私金をもとに造成した干拓地と言われている。

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工事の設計監督は郡奉行竹内立左衛門によってなされ、安永七年(一七七八)に起工、五年の歳月と約二万両の工費、延べ五八万人の役夫を投じて、天明元年(一七八一)に完成した。

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樋門

工事は海岸から二・七㎞余の沖合いに、舟で土砂を運んで産山(現灘波の付近)と名付げた小砂堆を築き、そこを根拠に堤防を構築していった。工事の最難事である潮止め工事は、着工後三年目の安永九年(一七八〇)一二月七日に完成した。

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 干拓地の排水施設として最も重要なものは、樋門である。

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満潮時に遊水池にためている悪水を、干潮時に一気に排水するための樋門の開閉は、干拓地の稲作の死活を制するものであった。

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禎瑞の樋門は北西端の灘波にある。干拓地造成時の樋門は当時の最新技術を誇る南蛮樋であり、その責任者は百姓身分ではなく、同心として召し抱えられていた。

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その下には数人の樋掛かいて、樋門の開閉に従事した。灘波の地は、干拓地当初は産山といわれていたが、南蛮樋のある重要な地点であり、南蛮樋掛の居住しているところから、南蛮転じて今日の難波の地名になったと伝える。現在の樋門は全自動化されたものが一〇門ある。

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西条市禎瑞の龍神社。
1799年・西條藩主・松平家によって創建された。
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御神徳
海上安全。漁業繁栄。家内安全。

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集落立地の特色

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 禎瑞の集落は八幡・高丸・難波・禎瑞上・禎瑞中・禎瑞下の六集落からなる。

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うち前三者は西方の中山川の堤防ぞいに立地し、西禎瑞といわれ、後三者は東方の加茂川の堤防ぞいに立地し、東禎瑞とよばれる。

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集落が堤防ぞいに立地するのは、堤防ぞいが微高地であること、そこが水害に際して最も安全な避難場所であることによる。

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海岸線は堤防沿いを車で周回でき、海側と禎瑞の新田側の取材ができました。

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ぐるっと回ると嘉母神社の上の加茂川土手も通る。

今日はおいしい水をくむ予定はないので通過して、西条市の市民の森へ向かいました。

つつじが咲き始めです。ゴールデンウィークごろには、つつじの森になるでしょう!!(^^)!

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Kさんより写真とコメントいただいたので追加しました。

「禎瑞の素晴らしいところを見せていただきました。安全で安心していた堤防が暴風強風のため決壊した。「後のいましめと為すもの也」と堤防決壊の記念碑が伝えています。

竜神社の西方100mにこの碑があります。災害は忘れた頃にやってくる、後世の人々への教訓としています。平和な世時がゆえに再確認が必要ですね。
貴重な写真をありがとうございます。

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2012年9月末に乙女川、龍神社近くの川狩りの記事はmoreに貼りました。





乙女川の川狩り 西条市禎瑞・・・2012・9・30
絶好の漁日和とはいかない中で西条市禎瑞の、御止川で川狩りが行われていました。

荒天になって出漁者もまばらで、知らない内に人っ子一人いなくなりました。

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今年は、台風17号の影響で、あいにくの雨でしたが、予定日の9月30日に行われました。
今夜は中秋の名月ですが、雲に覆われそうです。

田船に乗って投網や手玉などで鯉などの魚を穫ります。

AM:9:42分から10:3分撮影の4枚です。

乙女川の川狩り 西条市禎瑞 龍神社(竜宮さん)付近。

興味があって調べました。

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西条市の加茂川と中山川の河口にはさまれた禎瑞地区を流れる乙女川では、毎年の大潮の日に禎瑞土地改良区の主催で川狩りが行われます。

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禎瑞地区は、江戸時代の松平氏の西条藩三万石の藩政時代に干拓事業で生まれた新田。

乙女川はこの干拓事業で出来た遊水池であり、樋門から魚が出入りし、西条藩の御漁場として管理されてきた。

「御免打ち」といって、江戸時大の当時の一般庶民にも開放され、網打ちを楽しむことも許された。

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☆☆:::正しくは「お止め川(御止川)」

乙女の名前は川中の堤防側に鎮座する竜神社の祭神である乙姫にあやかったとされる。

by manryouy | 2013-04-18 22:10 | 景観・風景 | Comments(0)