「西条市うちぬきウォークラリー」…2014/12/07(日)
2014年 12月 08日
うちぬきウォークラリー参加申し込み者 は、スタンプラリー 史跡探訪5キロウォーク ・だんじり絵巻シャッタープロジェクトそれぞれ希望のコース申し込みです。
ラジオ体操+ストレッチでウォーミングアップ後 各コースに別れ出発 。
環境イベント/エコ展示 親子木工教室 紙粘土 他 展示開催中でした。
登り道のシャッター街のだんじり の絵だけ見てまわるのかと思いきや天正の陣慰霊塔等も説明しながら回っていました。登道の四辻のすぐ西側に五輪塔がある。
<五輪塔の由来>
天正13年(1585)6月、豊臣秀吉は四国征伐の軍を起こし、弟秀長、甥の秀次に兵6万を授けて阿波に向かわせ、岡山の城主宇喜多秀家を讃岐に(その兵2万余)毛利輝元を伊予に(その兵3万余)遣し、3方より進んで長宗我部元親を討たせた。毛利輝元の軍に属した小早川隆景が、中国勢をひきいて伊予に上陸、連戦連勝破竹の勢いで諸城を陥れ、遂に氷見の高尾城に迫り、これを降し、神戸の高峠城に向って進撃した。時に、徳常寺の任瑞和尚は今の観音堂のある所の禎祥寺の林瑞和尚と共に、寄手の軍勢を迎えて花々しく戦ったのである。任瑞和尚は怪力の持ち主で寄手の軍勢寺内に乱入するを見るや墓石を手玉の如く取っては投げ、取っては投げ阿修羅の如く奮戦、寄手の軍兵も其の怪力に驚き、近寄る者なかったと、言い伝えられている。任瑞和尚の奮戦のかいもなく、中国勢の兵火にかかり、徳常寺、禎祥寺共に焼失し、任瑞和尚、林瑞和尚も相次いで戦死した。時に、天正13年(1585)7月17日、任瑞和尚の死を悼み徳常寺境内の一角に葬り五輪の塔を建て、これを祀ったのである。「なぎの木さん」の愛称で親しまれた境内のなぎの大木も、今は朽ち果てて無く、徳常寺の遺跡として天正の昔物語るものは、此の五輪さん唯一つとなったのである。終わり
有り余る数のシャッターキャンパスに西条祭りだんじり絵巻を再現 まだ途中・・・・・
絵心のある市内の団体や個人の方が 西条市商店街の店舗シャッターにだんじり絵巻を描きました。
その「だんじり絵巻」を見ながら西条祭りに詳しい佐藤先生と石水先生にご案内をいただきました。
要所では昔のだんじり と今のだんじりの違いや 道路状況の変化 家並みの違い等説明しながら のウォーキングでした。
商店街では別のイベントも開催中で今日だけは人混みで ごった返していました。
ぺインティングの様子も見物しました。
少し早めにイベント会場に戻ると別グループのメンバーが魚を放流し記念撮影していました。
会場には地元飲食店によるグルメ市場も出店していました。
ウォーキングが終わり皆さん戻った頃から うち抜きコンサート開始
イベントの時間:9:30~15:00
場所:西条図書館北側中央緑地
先ずはダンス
ダンスの後はエレクトーン
エレクトーンの後は西条市を代表するゆるキャラの紹介
うち抜きコンサート最後は丹原が誇る道前太鼓演奏 だんじり囃子で有終の美を飾りました。
親戚Tさん提供