久万美術館と宇和島の天赦園・伊達博物館を巡る旅…2016/10/27
2016年 10月 28日
道の駅久万・天空の郷・
町立久万美術館2016年度自主企画展「風景の向こう―喜多村知・松田正平」では、二人の洋画家、喜多村と松田の風景画を鑑賞。学芸員さんの詳しい説明がありました。
【展 示】 喜多村知・松田正平の絵53点及び資料類約18点
詳しくは
久万高原町・久万美術館
宇和島の天赦園で昼食
天赦園は元宇和島藩主伊達家の庭園。
七代藩主宗紀が、隠居所を造るため、文久2年(1862)から3年の歳月をかけて、慶応2年(1866)完成させた。
園内には、伊達家の“竹に雀”にちなんで大名竹・豊後竹・真竹・孟宗竹など珍らしい十数種類の竹が、また、伊達家の姓である“藤原姓”にちなんで大紫藤・白藤・上り藤などがあるほか、ショウブの種類も多い。
園内には多くの藤棚があり、中でも池上にかかる太鼓橋式の藤棚にかかる白玉藤は、この園ならではの風景となっています。また、伊達家の家紋「竹に雀」にちなみ、さまざまな珍しい種類の竹が池を巡るように植栽されています。毎年6月の上旬になると、花菖蒲が満開になる。
愛媛県宇和島市天赦公園の天赦園で、地元の民謡「宇和島さんさ」歌詞は宇和島独特のものになり、「竹に雀の仙台様も…」で歌い出しまた詞型は一見「7・7・7・5調」のようですが、上の2句の後に「ションガイナ」が入ります。また、最後の4句目の5文字はすべて「諸共に」で、前後に入る字を含めると「エエー諸共にヨー」で納められた形になっています。
宇和島さんさは1749年、仙台藩と伊達家の家格を争った際に生まれたとされる。
愛媛県宇和島市に伝承される民謡が《宇和島さんさ》です。
格調高く、またしっとりと歌われるこの唄は味わい深いものですが、宇和島市を中心とした「盆踊り唄」だそうです。
天赦園には予約申し込みしており、三味線と歌にあわせて、宇和島市のボランティア団体が上品に舞い、しなやかな手の動きは、何をあらわしての踊りかの説明もいただきました。
非常にインパクトがあって、記憶に残ります。本当にありがとうございました。
宇和島さんさ で検索すると、この踊りの動画も2種類あるようでした。
宇和島さんさの由来など 検索すると詳しく出ていました。
※ 1749年、宇和島藩の五代藩主伊達村侯が参勤交代で江戸へ出府した際、仙台伊達家との間で家格について本家・分家の争いが起こった。
両家が顔を合わせた酒席で、仙台側家臣が地元民謡『さんさ時雨(しぐれ)』を披露すると、これに負けじと宇和島伊達家のお庭番吉田万助が即興で宇和島の「さんさ」を歌った。
これが『宇和島さんさ』の由来とされ、以後も宇和島武士たちの勇気を鼓舞するために歌い継がれたと伝えられている(参照:「愛媛新聞」2004年9月20日14面)。
2年前から天赦園の予約客の事前の申し込みの訪問日や各種イベントなどで、宇和島市のボランティア団体が上品に舞うようになったと聞きました。
七代藩主、伊達宗紀(むねただ)(春山)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園。
名の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだという漢詩から採ったもの。
馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん
宇和島市立伊達博物館
伊達家ゆかりの宝物の数々宇和島伊達家の、きらびやかな秘蔵の品々。薫り高い文化を堪能。
館内は3つの展示室に分かれていて、見る者を魅了する 調度品の数々見る貴重な体験ができました。
道の駅きさいや広場や松山自動車道、伊予灘SAで、ゆっくりお買い物をして帰路につきました。
大洲南IC-西予宇和ICが2004年4月17日に、西予宇和IC-宇和島北ICが2012年3月10日に開通した。
松山自動車道にある伊予灘サービスエリア(上り)は松山平野の山麓にあるため、眺望に優れています。松山市・伊予市を中心とした夜景を眺めることができ視界が広いのが特徴です。
恋人の聖地としても認定されており、南京錠をかけるフェンスがあることでも知られています。展望広場の雰囲気も良い。