波止浜港の風景と今治造船の工場全景…2017/7/10
2017年 07月 11日
波止浜港の対岸には今治造船(株)の造船所があり、
渡船乗り場の奥には大型船が多数、各種船舶の建造
・修繕などで浮かんでいました。
波止浜港は深い入り江になっており周辺には
いくつかの造船所があります。
又、波止浜工場が昭和63年( 1988年)、
現在の新来島どっく波止浜工場となった。
波止浜港の西岸「新来島どっく波止浜工場」の南にある
バス停前の発着場から運行している渡船乗り場です。
白い壁の建物が渡船切符売り場(自動販売機)を兼ねた
待合室で綺麗なトイレもありました。
ここから波止浜港から水軍の本拠地来島、砲台の島小島、
そして馬島をまわる・波止浜(今治)~来島~小島~馬島への
渡船が発着している。
村上海賊魅力発信協議会で検索する
http://murakami-kaizoku.com/themes/culture/
波止浜観光港. 渡船時刻表。平成26年10月1日 改正
http://www.go-shimanami.jp/access/ship/kurushima.html
丁度、波止浜港の中央部に当たるこの一角には「燈明台」
という海上安全の石塔が建っておりました。
波止浜港の待合室横に灯明台があります。
「和式灯台」とも呼ばれ、明治になって洋式灯台が
築かれるまでは、灯台の役目を果たしていました。
燈明台の説明版より
奥深い入江が箱のような形をした波止浜湾は、筥潟湾と呼ばれ、古くから帆船の重要な風待ち、潮待ちの天然の良港で、戦国時代は来島水軍の船溜りとして重要視され、天和三年(1683)以降の塩田開発による町家の増加、塩買船、塩田資材を供給する船の出入りが多くなり、港町とし発展し、伊予の小長崎といわれるほどに成長した。
元禄十六年(1703)には港の入口に出入船舶を監督する船番所が置かれ、船舶と他国者の出入りを厳しく取り締り、船税の徴収にもあたった。
今もその付近を御番所前という。
(現在地より北の方、ドックの中あたり)この大灯明台は嘉永二年(1849)に
御番所前に建てらたもので、当時の波止浜の人々の意気を示している。
明治三十五年(1902)に現在地の移された。
南面に嘉永二己酉十月吉日、海上安全と彫られ、東面には金毘羅大権現と
彫られている。この前から来島、小島、馬島への渡船が発着している。