今治駅前にある猿飛佐助の像を撮って調べる。
2012年 06月 18日
小雨が降り始め、薄暗いので、雰囲気しか撮れません。
雲の上で右手右足を上げ、今にも忍術を使う瞬間のようだ。
このバランスは、どんな方法で制作しているのか、ぐるっと回って撮る。
黒い雨雲がひろがっていて、銅像がはっきりと写りませんが悪しからず・・・・
今治駅前にある猿飛佐助像
今治ライオンズクラブ
2001年9月設置のようです。
猿飛佐助のブロンズ像・・・愛媛県今治市北宝来町1丁目。今治駅のロータリーに建っていました。
立川文庫から出版された「猿飛佐助」の著者の一人・山田阿鉄の出身地が今治市だったため建てられたそうです。
今治駅前で、痛快なジャンプで出迎えてくれたのは明るく元気な正義の味方、猿飛佐助でした。
猿飛佐助といえば、戦国時代末期の甲賀忍者。
真田十勇士のひとりで、ライバルは伊賀忍者の霧隠才蔵。
架空の人物とも実在の人物(上月佐助)とも言われますが、、「忍者名人・猿飛佐助」の作者、山田阿鉄さんが今治市出身ゆえ、今治駅前で飛んでいるのだそうです。
山田阿鉄さん、今は今治市内の観音禅寺の墓地で眠っておられます。
数日後また、駅前に行ったので撮りましたが、デジカメでも銅像ははっきりとは写りませんね。
躍動して、飛び上がっている銅像は見たことがなかったので、追加しました。
猿飛佐助 [ 雑学]で追加します。
立川文庫の作り人物で真田十勇士の花形役者である。手で印を結ぶと姿が消え、相手から見えないのでどんな豪傑でもテンテコ舞いさせることができた。
立川文庫の『真田幸村』では、忍術の名人として登場し、大活躍している。霧隠才蔵とともに登場し、徳川方の軍評定の内容を探ったり、地雷火を仕掛けて、敵方を混乱に陥れたりする。
信濃の鳥居峠の麓に住む鷲尾佐太夫という郷士の息子である。山中で猿の群れと遊び戯れているところを戸沢白雲斎という白髪の甲賀流忍術の名人に見込まれ、忍術の修行をしたあげく極意を授けられる。鳥居峠にやってきた幸村に見出され、その家来となる。
東西の風雲急を告げるに及び、幸村の命令で天下の情勢を窺うため、清海入道と連れだって諸国漫遊の旅に出る。東海道を東下し、家康のいる駿府城、または秀忠のいる江戸城に忍び込み、徳川方の内情を探る。京都では、南禅寺の山門に住む石川五右衛門と術比べをする。
女・子どもなどの弱きを助け、山賊などの強きを挫き、懲らしめる。大坂夏の陣の後、幸村とともに薩摩に落ちる。
本当に懐かしい !! 猿飛佐助 ですか。
この名前 もう すっかり忘れてました。
子供の頃 遊びまわる時、猿飛佐助になりきってました(笑)
今治市駅前で猿飛佐助が飛び跳ねて イイ光景です。
薄暗いところで、、飛んでいる猿飛佐助像。歩いていると、発見があって面白いです。忍術の修行をしたら極意がもらえると、子供心に、わくわく・・・夢があってヒーローでしたね。(笑)