「体罰」に対する議論 (メール配信から抜粋)


「体罰」に対する議論 

子ども虐待で命を落とすことが多いのは、0歳児です。
平成20年度のデータですが、0歳児が死亡事例の半数以上を占めています。この割合は、例年変わっていないのが現状です。
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テレビの情報番組などでは、「ここまでしたら、体罰じゃなく暴力になる」とか、「学校での体罰は良くない」などというコメンテーターもいますが、そもそも体罰は、指導するときに必要なのでしょうか。また、学校での体罰は許されないけれど、家庭での体罰は許されるのでしょうか。

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◆ 体罰は、即効的なもの。

叩かれたことで、していることを即刻やめたり、または叩かれるのがいやだからと、何かをしないようにする行動に出ます。緊張で体はこわばるでしょうから、叩かれないようにすることに意識が集中してしまいます。

つまり、叩かれることで能力が向上するということにはならないでしょう。 体罰は、大人から子ども、親から子ども、部活やスポーツなどの場合は指導者から選手へと、上下関係があるところで行使されます。「体罰を受けた方は逆らえない」という構図の中で行われるものです。

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■体罰は指導として有効ではなく連鎖する

叩かれたことで、していることを即刻やめるという効果はあるかもしれませんが、それは驚きと恐怖によって、そのときに「やめる」という行為をするだけのものです。なぜいけないのか、どうすることがいいのかは、体罰から学ぶことはできません。

 逆に体罰を受ける、親や大人から叩かれることによって、自分の言い分を通すために叩く、殴る行為を相手に行ってしまうということも言われています。

体罰を学び、それが連鎖するという構造です。

「愛のムチ」という言葉がありますが、これは相手に対する尊敬を持っていると、体罰を受けてもそれを肯定しようと思いこむからでしょう。

でも、尊敬と体罰は全くの別物。

そして、叩く、殴るなどの体罰を受けることと、良い行動ができるようになるというのは、結びつきません。

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◆体罰・暴力ととらえるべき

 さらには、指導者や親が「愛のムチ」だと思っていても、受ける方が恐怖や威圧を感じているなら、それは程度によらず体罰・暴力ととらえるべきでしょう。

 この部分の考え方は、虐待の定義、「子どもが耐え難い苦痛を感じれば、それは虐待です。保護者が子どものためだと考えていても、過剰な教育や厳しいしつけによって、子どもの心や体の発達が阻害されるほどであれば、あくまで子どもの側に立って判断し、虐待ととらえる」と、同じでしょう。

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■体罰をやめて、適切なアドバイスを

殴る行為=体罰が子どもや選手を育むのに有効ではない
 叩かれるという恐怖からしないようにするのではなく、叩かれず、きちんとした指導(アドバイス)を受けて、できるように頑張る、できる方法にチャレンジしていくほうが、人としての可能性を伸ばすことにつながるはずです。 

スポーツ選手など大人でもそうですが、子どもの場合は体罰を受けると、「ボクが悪いから叩かれるんだ」「自分はだめな子だ」と自己肯定感が育まれません。自分に自信を持てなくなり、チャレンジしようという意欲が育まれなくなってしまいます。ここまでは体罰で、ここからが暴力と、体罰と暴力の線引きは難しいもの。

叩く、殴る行為=体罰が子どもや選手を育むのに有効でないのですから、叩くこと自体をやめるときが来ていると言えるでしょう。

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卒業式の後は、希望の春・・・新年度が始まります。

先日メール配信された記事の中で、今話題のテーマに興味があり、読んで見るとわかりやすい議論でした。

少し長いので選択して載せました。manryouy

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by manryouy | 2013-02-19 12:51 | パソコンの関連 | Trackback | Comments(0)

愛媛の東予地方から、日常の平凡な生活の中で感動した事や、日々の旬な話題・美しい花等を日記風にして発信をします。


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