源太桜(エドヒガン)…愛媛県東温市…2013・3・30


源太桜(エドヒガン)市指定天然記念物

(東温市河之内田桑)

今日、(3月30日)西条市鞍瀬のS公民館の行事の桜めぐり・・・・・!(^^)!

参加仲間に入れてもらって、源太桜(東温市指定の天然記念物)を見に行きました。

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みごと!!ちょうど満開でした。

現在、足元の旧金毘羅街道の中山越え周辺歴史など・・・・・
巨木を見上げながら、興味深い話を一緒に行った人に聞きました。

S公民館長にいただいた資料より

「今を去ること700年あまり前、源氏に追われた平家の残党樫原源太季秋がこの地にたどり着き、隠れ住んでひそかに平家の再興を願って毎年のように桜を植えていった。

源太は土地の娘お初と恋に落ち、息子も生まれ、幸福の絶頂にあったのだが、お初は産後の肥立ちが悪く、帰らぬ人となってしまった。源太はその悲しみにうちのめされ『桜三里は源太が仕置き花は咲くとも実はなるな』と詠い残し息子共々壮絶な最後を遂げたという。

また、3百数十年前には、当時の松山藩士が囚人を過酷に使って8240本もの桜を植えさせたという。
桜三里の桜には実がならない。これは、源太や囚人の怨霊によるものではないかといわれている、」

お問い合わせ/東温市商工会川内支所

有り難うございます。

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帰宅後、検索して追加します。

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●樹種はエドヒガンザクラ(江戸彼岸)

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●江戸時代中期に松山藩士の矢野五郎右衛門が囚人を率いてこの金比羅街道沿いに約8240本の桜を植えつけたといわれる。

これが中山越え周辺が桜3里と呼ばれるようになったことだと初めて知りました。

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18世紀後半には1681本あったというが、明治後期に近くの鉱山の煙害などで殆んど枯死し、現在は2本残すのみとなったそうです。

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この桜は1687年、松山藩の代官矢野五郎衛門が、路肩の崩壊防止が目的で旧中山越(金毘羅街道)に植えた桜の生き残りといわれている。

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桜並木で知られる桜三里に残る最も古い桜を「源太桜」と呼んでいます。

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源太桜の下の看板も撮りました。

それをよく見ると、

松山藩士、矢野五郎右衛門が藩の囚人を使役し、中山川沿いに桜を植えた際に、その作業は大変厳しいもので苛酷な労役にたえかねた囚人が松山藩士、矢野五郎右衛門の通称である源太の名をとり「桜三里は源太が仕置き、花は咲くとも実はなるな」と怨嗟の声を残したともいい伝えられている。

東温市教育委員会


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源太桜は2本あり、南側の樹の方が大きく、幹周り3.18m、樹高25m、南北の枝張り24mになっているそうです。

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もう1本はこれより少し小形だが、いずれも2013年現在で推定樹齢326年になるそうです。

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花径22ミリ前後の小ぶりな淡紅色の花らしいが、見上げるとかすみかかったように枝全面に散らばって咲いていました。。

国道11号の桜三里の発電所前から遠望もできる。

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by manryouy | 2013-03-30 15:32 | 桜・さくら巡り | Trackback | Comments(0)

愛媛の東予地方から、日常の平凡な生活の中で感動した事や、日々の旬な話題・美しい花等を日記風にして発信をします。


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