大山祇神社の早乙女の御田植祭と一人角力…2013/6/13
2013年 06月 13日
大山祇神社は、約2600年前、神武天皇東征に先駆けて、祭神大山積大神(おおやまづみのおおかみ)の子孫小千命(おちのみこと)が四国に渡り、瀬戸内海の治安を司っていたとき、芸予海峡の要衡である御島(大三島)を神地と定め鎮祭したことにはじまると伝えられています。
以来、神の鎮まる神聖な島『御島(みしま)』と呼ばれ、本州、四国、九州を鎮守する日本総鎮守の神として崇拝されてきました。
現在の大三島の呼称はこの御島から起ったと伝えられています。
愛媛県今治市・大三島の大山祇神社では、平成25年6月13日(木)(旧暦5月5日)御田植祭と一人角力が行われました。
毛槍や鉾を先頭にした供奉行列に守られた神輿三体が本殿から神社境内入口の斎殿に渡御します。
御田植祭(の前)と抜穂祭(の後)の際に行われる神事で大山祗神の神霊を慰め、豊作の祈願と感謝をするものです。
旧暦5月5日に行われる、 五穀豊穣を祈願する御田植祭は、古くは貞治3年(1346)の記録が残る神事です。
豊作祈願の神事のあと、一人相撲が奉納されます。 この相撲は神様へ供えるご馳走の意味を持ちます。
相撲の行われる斎場には、正面に神輿三体が安置され、右に宮司以下の神官、奏楽員、巫女、早乙女等が控え、左には総代等が参列する。
浦安の舞が終わると、侍烏帽子に素襖のいでたちの行司が、軍配を手にし、神前に一礼ののち、「こなた精霊」「かたや一力山」と呼び出します。 一力山が稲の精霊と相撲をとる一人角力(ひとりずもう)が奉納されます。
土俵に上がった力士は行司の差す軍配とかけ声につれて、目に見えない精霊と取り組みます。
力士が独りで悪戦苦闘している姿はユーモラスに見えます。
この一人角力は目に見えぬ稲の精霊と懸命に取り組んでいる力士は真剣そのものです。
三番勝負で精霊が2勝し、めでたくその年の豊年満作が約束されます。
目に見えぬ稲の精霊の威力を示すことで、豊作祈願と豊作感謝を表します。
古くは一番勝負でしたが明治時代以降は三番勝負の新しい取り型が行われるようになりました。
民俗的に貴重な行事であり、現在、愛媛県の無形民俗文化財に指定されています。
そして島内の集落から選ばれた早乙女16名が、田男に先導されて斎田に入り、白衣の装束に赤い欅をかけ、手甲脚絆姿の清廉な装いで御田植えを奉仕しました。
神輿庫と瀬戸内の風景と地図
編集 後記
田植えの 経験も無いと思われる 16名の早乙女に よる お田植え祭、さすがに、ぶっつけ本番は不安が残るので入場 神事、退場の場面は一度リハーサルが行われました。
その甲斐あって斎田を取り囲む観衆や報道陣の見守る中、本番も無事つつがなく終了しました。
1人角力に至っては周辺のカメラマンにアクションを催促されたりしてましたが、そこは一心不乱に精霊との勝負に徹していました。
一般の客、観光客も多数のようでしたが、皆さんは、真夏日の暑さもなんのそので、大山祇神社の早乙女の御田植祭と一人角力に見入っていました。
絶好の祭り日和となった今日、6月13日は、境内では少年少女の奉納相撲大会も繰り広げられていました。
15;15分ごろ