プラタナスの球形の実と勧進帳…2015/4/20
2015年 04月 20日
カメラに い~っぱい、プラタナスの花粉がふりかかりました!(親戚Tさん提供。)
春に芽吹いた掌状にさけた葉のわきに、淡黄緑色の雌花と雄花が別々に咲き、夏には緑の大きい葉に見え隠れした球形の実は晩秋になると落葉した枝に垂れ下がって鈴をぶらさげたように見えます。
ギリシャ・ローマ時代から植えられてきた街路樹、プラタナス。花(木)の名は、古代ギリシャ語のplatys(幅が広い)で、葉が大きいことから名づけられました。
日本では街路樹として、モミジバスズカケノキ が多く使われる。
別名のスズカケノキは、山伏の法衣の篠懸衣(すずかけころも)に球形の飾りがついていることから篠懸の木と名づけられ、球状果が鈴なりにつくので、鈴懸の木と書くようになったそうです。
プラタナスの球形の実と勧進帳で、以前の記事も入れてまとめました。
新旧スズカケ(プラタナス)の実と「勧進帳」の公演…
2012/6/20が、詳しいので貼ります。
新しいスズカケ(プラタナス)の果実です。西条市船屋にて
スズカケの名は明治初年,この木の球状果が,山伏の着る篠懸衣についている球状の飾りに似ているところから篠懸木と命名。
山伏のボンボンみたいなあの実は時間がたつとどうなるかっていうと…?
ちょうど、新旧のスズカケ(プラタナス)の実が写っています。このスズカケの実の成れの果て・・・・。
道端に散らばってるフワフワしたののもスズカケの種子
イガイガの一つ一つが一つずつの種となって舞っていました。
歌舞伎の『勧進帳』
「旅の衣は篠懸の、旅の衣は篠懸の、露けき袖やしをるらん」で始まるとか。
勧進帳(かんじんちょう)は源義経一行が兄・頼朝に追われて奥州に落ちのびる途中のお話です。
私も、以前に、西条市総合文化会館での歌舞伎公演で「勧進帳」も観て、
とても、迫力満点の演技に感動しました。
若い時、に詩吟で習った「安宅の関・勧進帳の朗詠」で、吟じたのを想い出しました。
【 雑学 】
歌舞伎十八番の一つ。
兄源頼朝との仲が悪くなった源義経は、武蔵坊弁慶【むさしぼうべんけい】らわずかな家来とともに、京都から平泉(岩手県)の藤原氏のもとへと向かいます。
頼朝は平泉までの道すじに多くの関所を作らせ、義経をとらえようとします。
『勧進帳』は、義経たちが加賀国【かがのくに】の安宅【あたか】の関所(石川県)を通過する時の様子を歌舞伎にしたものです。
義経一行は山伏【やまぶし】に変装して関所を通過しようとします。
ところが関所を守る富樫左衛門【とがしさえもん】は、義経たちが山伏に変装しているという情報を知っていたので、一行を怪しんで通しません。
そこで弁慶は、何も書いていない巻物を勧進帳と見せかけて読み上げます。
勧進帳とは、お寺に寄付を募【つの】るお願いが書いてある巻物です。いったんは本物の山伏一行だと信じて関を通した富樫ですが、中に義経に似た者がいる、と家来が訴【うった】えたため、呼び止めます。
変装がばれないようにするために、弁慶は持っていたつえで義経を激しく叩きます。それを見た富樫は、その弁慶の痛切な思いに共感して関所を通すのでした。