今治市朝倉地区 今治春祭り 矢矧神社(ヤハギジンジャ)…2015/5/3
2015年 05月 03日
餅投げのこの人手に圧倒される、そこでひとつトップに・・・
今治市朝倉地区 今治春祭り 矢矧神社(ヤハギジンジャ)2015年5月3日春祭りを見に行きました。
愛媛県無形民俗文化財に指定されている 獅子舞、ニワカ芝居、御神輿などがあり大盛況でした。
にわか芝居
5月3日に上演される場華芝居は獅子舞と一体になって行われ、その形態が国内唯一のものであり最大の特色は、俄(にわか)の存在 です 。
「朝倉にわか芝居」と呼ばれており、県無形文化財、故郷創造賞も受けている。
にわか芝居と獅子舞には、境内にあふれるほどの人出になっていました。
11:00矢矧獅子保存会
継ぎ獅子開演
矢矧獅子保存会による継ぎ獅子は,先ずは三継ぎからお披露目です。
矢矧神社60年ぶり 四つぎ獅子の開演です!
矢矧神社60年ぶりの手に汗握る 四つぎ獅子に拍手喝采。凄いね・・・・よくできたね。
60年ぶり四つぎ獅子も無事に成功しました。
興奮さめやらぬ、つぎ獅子終了・・・・・・
引き続き 餅と 菓子ばらまきになっています。
境内の獅子上の子供から演技も素晴らしく、お菓子やお 餅まきが始まって賑わっています。
ほんとうに大盛況です。ご覧あれ・・・・
終ると、次は拝殿前から ばらまきます。
豪華景品が 当たる お札入り 餅まきで 殺気が みなぎります。
餅まきが終り、拝殿からお神輿の宮だしです。
本殿をぐるっと一周しました。
差し上げです。
お宮だし、階段をくだります。
朝倉郷本社 矢矧神社御由緒の刻印板が、目に留まったので撮りました。
≪以下は矢矧神社でネットで調べると刻印の文章が全部掲載されていました。
【 矢矧八幡宮のご祭神
天峡貫王(あまさぬきのおう)
誉田別命(ほむだわけのみこと)
武内宿禰(たけうちのすくね)
社伝によると、二名の州の主で越智氏の祖、小千の天狭貫王の廟として祀られ、往古には朝倉宋廟本社と号していた。斉明天皇(37代天皇)朝倉へ御幸の時ご参拝あってその時に朝倉の宮と改める。
弘仁11年(820)八幡宮を御勧請、その後、清和天皇(56代天皇)の御代に朝倉宋廟八幡宮と改められる。
以前は八幡ヶ窪に御鎮座、社地八丁四方を有し(本郷・宮の窪・立丁・新田等の地名が残る)高縄山城主河野公の祈願所となり祭礼も盛大に行われていたが、天正10年(1582)の戦乱の被害により古文書等損失、社殿も荒廃して維持が困難になり慶長18年(1613)現鎮座地に奉移、八幡ヶ窪も元禄6年(1693)田地となる。
相殿の矢番大明神は、元岡氏が上総国箕島より迎えて祀ると云う。
延宝5年(1677)矢矧神社と改め今治城主松平公の祈願所となる。】
今治継ぎ獅子マップネットより
5月3日(日・祝)から5日までの祝祭日5月9・10日と.5月16・17日1の土・日と5月24日(日)
波方地区までが今治春祭りです。
各地域の神社では保存会による継ぎ獅子と獅子舞等の奉納などが行われます。
11:33分
11:35分
お旅所らしき所に到着した ところで帰路につきました。
親戚Tさん提供。編集manryouy
manryouyより
朝倉地区矢矧神社(ヤハギジンジャ)は、孫の初参りと初の春祭りに行きました。
にわか芝居は、毎年演目を変えて練習するようです。本当に面白いです。
60年ぶりの4継獅子は、練習の成果発揮で本番の成功おめでとうございます。
観衆の皆さんの感動が伝わりました。
5月のGWには地元の春祭りに帰省して沢山の人が楽しみにしている様子がよく分かりました。
ほのぼのとした地域の春祭りは、継承して続いてほしいものです。
神社の豆知識より抜粋
神社神道において行われるすべての神事の総称を「祭(マツリ)」と呼びます。
「おまつり」と呼ぶと、神社の境内に露店が並んだ賑やかなお祭の事を思い浮かべる方が 多いと思いますが、それだけを指すモノではないんですね。一般に「お祭」と言われる春祭りや秋祭りは、 「春季例祭」や「秋季例祭」など「例祭」と呼ばれる祭です。
厄年に当たる人が神社にお詣りされて厄祓いをうける事は「厄祓祭」と呼びます。 家を建てる時には「地鎮祭」と言う祭をいたします。 例を挙げるときりがないので、(全て祭とつきますので・・・)この辺りで・・・・・
今治春祭り 矢矧神社(ヤハギジンジャ)2013年5月3日
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